論理的思考力があっても文学的文章が苦手! の対策
こんにちは。
大阪・神戸・京都の国語専門家庭教師住吉那巳枝です。
ホームぺージで論理的思考力についてずいぶん語っていながらあれなんですが、国語の読解、論理だけで解けるわけではありません。
言葉のひだ、言葉のあや、行間、言葉の裏に隠された心情。そういったものまで文学的文章では読み取らなければなりません。もちろん基本となるのは論理的思考力です。登場人物の行動・発言・様子・心情表現を手掛かりにするのは基本です。しかし、それだけですべてが解けるわけではありません。私たち人間には複雑な感情があります。論理ですべて理解できるわけではありません。そして、その複雑な感情を文学的文章(物語・小説・随筆など)はえがいており、その部分が問われることが多いのです。
生徒を見ていると、論理的思考力はあるのに文学的文章が解けない子は複雑な心情表現(=問われやすい部分)に関係する手がかりを読み飛ばす傾向にあります。実体験がないので、ぴんとこないのです。実体験がないと心情が読み取れる動作や発言があっても読み流してしまうんですね。論理的に読もう、手がかりは文章にある。頭ではわかっていても、無意識に流してしまうんです。論理的思考力がある、でも、文学的文章になると解けない場合はこのケースを想定したほうがいいです。
では、どうしたらいいか。
問題を解くときには、問われている登場人物の言動の一連の流れを押さえ、字面通りの意味だけでなく、そこには別の気持ちもあるのではないかと考えて読むこと。
動作を表す言葉にはいろいろな意味が含まれていることを意識すること。たとえば、「笑う」。「笑う」のは「楽しくて笑う」「ばかにして笑う」「おかしくて笑う」「あきれはてて笑う」「どうにもならなくなって笑う」「やけになって笑う」などがあります。「笑う」という行為の中には様々な感情がふくまれます。これを知っておくと、前後の文章の流れから、どれにあてはまるのかをとらえて心情を理解できるようになります。「笑う」=「楽しいから」「おもしろいから」だけではないということを知っているだけで、心情理解度は大きく異なってきます。
そして、ある言動のもとにある感情は一つとは限らないということを、お子さん自身の感覚に落とし込んでみること。
これは、実際に授業で使う方法ですが……
友だちと遊んでいるときに転んで手をひどくすりむいてしまった。顔も打ってかなり痛い。このとき、「ちっちゃい子だったらどうなると思う?」と聞いてみます。すると、高学年の子はたいてい「泣く」と答えます。「じゃあ、君ならどうする?」と聞くと、ほとんどの子が「だいじょうぶって言ってごまかす」とか「がまんする」「なんでもないふりをする」と答えます。「どうして?」と聞くと「友だちがいるから」「泣いたらはずかしいし」などと理由を言います。これがポイントなんです。人間は泣きたくてもがまんする、感情とは反対の言動をとることがある。これをしっかり意識させます。
そして、なによりも役に立つのは、ご家族や友だちとたくさん話し、たくさん遊び、たくさんけんかをし、さまざまな感情を経験することです。自然に触れて、たくさんの喜怒哀楽を経験することです。人と人との関係の中でしか身につけることのできない力があります。さまざまなものに触れることで生まれる感性があります。論理的思考力を身につける前にこれらの経験をたくさんしているお子さんは、論理と感覚をうまくつかいこなせるようになります。そのため、人の心の機微や、言葉のひだやあや、行間を感じ取れるようになるのです。