読解の基本・学習の基本

塾の先生や国語の家庭教師をしている先生方と話をしていると、国語の読解問題は、本文にある筆者の考えを読み取る問題と作問者の意図を読み取る問題があるというのを聞くことがあります。

私は教材制作の仕事を10年以上していますが、私が一般的に言われる「作問者の意図」の意味を誤解しているのかもしれませんが、この言葉を聞くといまだに「???」となります。

作問者の意図=どのような力を測りたいか(テスティングポイントというものです)であり、すべての問題にこの意図があります。その力を測るために、筆者がどのように考えて、結論としてどういうことを言いたいのかを読み取らせたりするのです。言い換え表現などが作問者の意図を読み取る問題と言われたこともありますが、言い換え表現を使うのは、文章が単調になるのを避けるためであったり、重要であるために繰り返したりという筆者の意図もあるので、さらに「???」となってしまいます。そんなことを意識して問題を解くのって大変じゃないの?! と私は思ってしまいます。書かれている文章を文脈にしたがって正確に理解し、さらに言語化されていないところまで正確に推測できるようにすればいいだけでは? と。

読解の基本は、「書かれている文章を文脈にしたがって正確に理解し、さらに言語化されていないところまで正確に推測すること」です。推測するということは、根拠を本文に求めるということです。決して勝手に想像するということではありません。「自由に考えて答えなさい」という設問であっても、「筆者の主張をふまえて」や「あなたが登場人物Aであるなら」という指定があることが多いものです。主張をふまえるためには、筆者の主張を正確に読み取っていなければなりません。登場人物Aであるならというならば、登場人物が置かれている状況・環境を正確に捉えていることが必要です。そのためには正しく地道な学習の継続が必要です。

学習という言葉の「学=まなぶ」には、正しい手本をまねして習うという意味があります。「習=ならう」は、「なれあう」「ならぶ」などという言葉が転じたものと言われています。「なれあう」はいいイメージがないかもしれませんが、「互いに親しむ」という意味があります。「ならぶ」は、教える者と同じレベルにあるということです。「ならう」には、師と親しんで見習い、同じレベルの知識や能力を身につけるという意味があるのです。これらは簡単に身につくものではありません。

学習の基本は、本質を理解して先生と同レベルの力を身につけていくことであり、読解の基本は、書かれている文章を文脈にしたがって正確に理解し、さらに言語化されていないところまで正確に推測することです。どちらも一朝一夕でできるようにはなりません。国語が苦手な場合、たとえば「筆者の主張は『~すべきだ』『~ではないか』『~と思う』などの表現を押せればそこから筆者の主張がわかる」と教えても、その過程を試験で正確に再現できるようになるまでには、一定の反復学習が必要です。試験前日に教えたからと言って次の試験で実践できるとはかぎりません。ですから、生徒さんの継続的な努力が必要になります。そして、教える側の根気と継続的な努力も必要です。また「互いに親しむ=信頼関係」も不可欠です。生徒さんの努力・私自身の努力。この二つがかみ合うように指導に励まねばと、これを書きながら気持ちを引き締めました。