生徒ひとりひとりに、適切な時期に、適切な言葉を

こんばんは。

大阪・神戸・京都の国語専門家庭教師住吉那巳枝です。

12月9日は父の一周忌でした。

父が亡くなったのは今年の1月19日。命日に一周忌の予定でしたが、関西中学入試統一日でありセンター試験日のため、変えてもらいました…。

 

父が亡くなってから、父と私だけの思い出が、ふと、わいてくることがあります。その中でも強烈な思い出は、私が小学校4年生のときに言われた父の言葉。

「おまえは頭がいいわけじゃないし、弟みたいな天才型でもないから、人の三倍努力しろ。努力したらたいていのことは人に負けないくらいにはできるようになる」と。

10歳の娘によく言ったな~と思います。「子どもの可能性を大人が決めることだけは絶対にするな」と言った祖父の子とは思えない言葉。でも、この言葉のおかげでおそらく今のわたしがいるのだと思うのです。当時の私は、まあ、確かに頭がよくなかったのかもしれない。「そっか。努力すればいいんだ」とあっさり受け入れてしまったんですからね……。人の倍ではなく、三倍と言ったということはどんだけ能力がないと思われていたのやら…。

ただ、この言葉のおかげで、努力することがまったく苦ではなくなったのは確かです。実った努力もあれば実らなかった努力もあります。実らなくても「それはそうだろう、すべてが実るわけじゃない、父は『たいていのことは』と言ったのだから」、とみょうに納得できてしまった。そう思えたので、実らなかったからと腐ることもなかった。あれだけ全力でできたのだから、これから先はもっとできるようになると思えた。年を重ね体力は10代、20代にはかなわなくなっても、今はあのころになかった知恵と経験がある。それほど体力を使わずに努力を重ねることができる。そのおかげで今も努力することは何とも思わず、根性だけはあります。

話がそれましたが、この父の言葉を思い出してから、つくづく生徒ひとりひとりに、適切な時期に適切な言葉をかけるというのは、ものすごく大切で、でも、ものすごく難しいことだなと改めて思いました。

もし、父が小4ではなく反抗期まっさかりの中2の私に同じことを言っていたら、まず聞く耳をもたなかったでしょう。そして、同じことをまったくタイプの違う弟に言っても響かなかったでしょう。

ひとりひとりをきちんと見る。目の前にいる生徒はこの世に一人しかいない。どれだけ指導経験があってもそんなものはたいしたことではない。その子をなんのフィルタもかけずにちゃんと見て、適切な指導を適切な時期に行い、適切な言葉をかけなければいけない。その大切さと難しさを改めて考えました。

入試直前期、このことがより重要になります。気持ちを引き締めて、しっかりとすべての生徒に向き合いたいと思います。