点数は悪くても最高の答案用紙

こんにちは。

大阪・神戸・京都の国語専門家庭教師住吉那巳枝です。

先週の日曜が今月の模試のピークでしょうか。

「テストの点に一喜一憂するな!」と言いつつ、ひそかに一喜一憂しています。テスト返却時期は、反省と自己嫌悪に陥ることもしばしば。

今日届いた結果は、過去最低の偏差値でした。点数と偏差値を見て、冷や汗が流れました。ほんとに「なんで?!」とぞっとしてしまいました。

でもそんな点数を取るような子ではなく、すぐに答案と問題用紙を確認しました。

その答案と問題用紙を見て、最低の点数だったのに感動してしまいました。「きみ、すごいよ!」と。

それは、記述全問、自分の言葉で答えを作ろうとした跡がありありとわかったからです。「これを言い換えたときに言葉の選択間違えちゃったのか」「ここを言い換えたけれど、この表現だと採点者には伝わらないから点は引かれるな」etc。答案を見ているうちに必死に考えている姿が思い浮かび、うれしくなりました。

模範解答は、本文のつぎはぎでできるものがほとんど。それではダメだと本人は考えたのですね。彼が志望する学校の入試では指定がないかぎり自分の言葉で答えることが必要だから。そしてそれは指導開始時に私が彼に話したことでした。それを覚えていたのです。

本文の線引きを見ると解答の根拠はすべて正しい。1点だけ漏れたなというものはありましたが、残りはすべて解答の根拠を正しく押さえて線を引いている。ただ、理解した内容を正確に言語化する力がまだ弱いため、自分の言葉でまとめる際にズレが発生してしまう。だから点にはならない。でも、1問は本文の言葉をほとんど使わず完璧に言い換えていて満点。「模範解答と違う言葉を使っているけれど、満点なのは正しく言い換えられたからだよ。ものすごくいい答えだよ」と伝えたら、とてもうれしそうな表情をしていました。

模試で点を取らせるだけなら、「解答の根拠は全部あってるね。だから、こことここをつなげればいいんだよ」という指導で終わらせることもできます。でもそれは彼の芽を、彼の可能性と意欲を摘む愚行。点数しか見なければ、点数と答案用紙しかみなければ、そんな判断をしてしまう可能性がある。

問題用紙と答案用紙を見て、数字にあらわれていない力を、彼の意欲を頑張りを、模範解答と違う言葉で埋め尽くされた答案用紙の意味を、正しく理解して評価しないといけない。そしていますべき指導を正しく判断しないといけない。目先の点数ではなく、入試で結果を出すために、そして、彼の意欲と頑張りをきちんと力に変えて上げるために。

それを彼の答案用紙が改めて教えてくれました。