本当に賢くあるために

こんばんは。

大阪・神戸・京都の国語専門家庭教師住吉那巳枝です。

先日の元東大寺学園の先生のお話の中で印象に残ったのは、「物語を重視するのは、結局は人がらを見たいから」という話です。「物語を理解できるかは、主人公への思いやり」であり、「いちばん大切なのは人。偏差値の高い勉強しかできない人間が欲しいのではない。人間味のある人が欲しい」と。「東大理三、京大医学部の先生たちも、受験勉強だけしてきた人物はいらない。思いやりや人間味あふれる人物が欲しいというんですよ」とその先生はおっしゃていました。

その話を聞きながら、本当の賢さについて考えてしまいました。偏差値は高い、論理的思考力も優れている、でも他人の立場に立って物事を考えられないなら、それは賢いのではなく勉強ができるということにすぎないのでしょう。

しかし、その先生もおっしゃっていましたが、入試という形式の中で、筆記試験で、人間性を見るのはとても難しいんですね。塾で教わるある程度パターン化した解答作成法でも部分点はあげられる、あげざるをえない解答ができてしまう。それでも、生徒の様々な答案を見ていると、あ~、この子は借り物ではない思考を持っているな、自分の考えと言葉で伝えようとしているな、この子は形式通りで言葉と思考を自分のものにできていないな、というのはわかります。私は、依頼を受けて毎年私大医学部約30校分の小論文分析を行っています。絵や映像を出す大学、オーソドックスに課題文を出す大学、いろいろありますが、多面的に物事を見る力のない子は苦戦する問題が多い。勉強以外の経験をどれだけ積んできたか、それが問われています。何かと話題になる医学部入試の小論文ですが、生徒の人間性・本質をかいまみることは可能です。「文は人なり」という言葉の通り、文章を書かせればその人となりはある程度はわかってしまいます。たとえ中学入試の記述解答であっても、そこにはその子の思考のパターン、感情、感性といったものは反映されます。

学校によって記述問題の採点基準はまちまちです。志望校に合わせた解答作成術を教えてくれる塾の授業は役立ちます。

でも、それを超えた力を生徒には身につけてほしいと思います。つたなくても12歳の頭で、今のその子の精いっぱいの力で考えて作り出した答えを書くこと。この繰り返しが、社会に出てから大きな力の違いとなって表れてきます。そのために、受験勉強も大切ですが、様々な生活体験、読書体験もとても大切なのです。