客観性を身につけるための国語

こんにちは。

大阪・神戸・京都の国語専門家庭教師住吉那巳枝です。

人間は主観の生き物です。理性もありますが、感情もある。感情に影響されて生きています。物を見るとき、話を聞くとき、文章を理解するときに感情の影響を受け、主観的に考えてしまいます。

事実は一つですが、真実は人の数だけあります。事実は客観的な事柄、真実はうそいつわりのないこと。うそかどうかは本人にしかわからない主観的なものです。

人間は本来客観的に理解し判断するようにはできていません。ですから、客観性を身につける訓練が必要です。その力を身につけるのが国語の文章読解です。書かれていることを、自分の感情を交えずに理解する力。自分の考えを誤解されないように第三者の視点から見直し、正しく伝える力。これらは訓練なしには身につきません。この力は、あらゆる面で役立ちます。場合によっては身を守ることにもなります。

SNSでの炎上はこの力の欠如が原因だろうなと思われるものも見受けられます。発信者が言っていないことに対して感情的になり、勝手な空想を広げ、つなげ、別のストーリーを主観で作り上げる。意図したことを正しく発信できない。自分の発言を他者が見たら誤解する可能性があることを判断できない。それにより、傷つけたり傷つけられたりする。そうした危険から身を守ることができます。

「筆者はこう言っているけれど、ぼくはこう思う!」」という生徒がいます。そう思うこと自体は、何の問題もありません。むしろいいことです。しかし、自分がどう思うか以前に、まずは筆者が書いていることを正確に理解する力がなければ、その「こう思う」は的外れなものになってしまう可能性があります。前提がずれてしまっては意味がないのです。自分の意見を持つことも大切ですが、相手の意見を正しく理解することはもっと大切です。理解したうえで意見を言わなければ何も成立しないのです。

自分の意見を持とう、自己主張をしっかりしよう。素晴らしいことですが、対象を正しく理解することの大切さをおろそかにしてほしくないと思います。