国語で身につく力と自粛に対する反応の関係

こんにちは。

大阪・神戸・京都の国語専門家庭教師住吉那巳枝です。

都道府県が不要不急の外出を避ける自粛要請を出していますね。

そんな中、「おおげさな」「若ければかからないから」といった考えで旅行や外出をする人が一定数いるようです。

この行動について、中学入試の国語の視点から考えてみました。

この行動の裏にあるのは、想像力の不足・思いやり不足からくる大局的な視点の欠如。これらは中学入試の国語で重視される力でもあります。(大局的視点については、以前「高校国語改訂が中学受験に及ぼす影響」で書いています。)

たとえば、関東の最難関、関西の最難関(一部を除く)では、物語文が重視されています。主人公は小学6年生が理解しやすい立場であることもありますが、まったく違うこともあります。文章から登場人物の立場・状況・様々な描写から思いを読み取り、書かれていることに基づいて正しく、想像・推測しなければいけません。そのため自由度のある設問設定であっても、解答の幅はある程度決まってきます。ここで文脈を無視して自分勝手な想像をした答えを書くことは論外です。

描かれている登場人物の立場・状況・思いを読み取り、書かれていることに基づいて筋道立てて想像・推測する力が必要です。そのためには、想像力・思いやりが必要で、その結果、大局的視点が身につきます。

この力は日常生活でも必要ですし、まさに今、必要なのではないでしょうか。

周囲の会話・情報などから状況を正しく理解し、自分の行動がどのような影響を及ぼすのかを想像すること。自分がすべきことを他者への思いやりに基づいて考えること。大局的に見て自分の行動が将来的にどのうような結果をもたらしうるかを考えること。今必要なのはこうしたことではないでしょうか。

外出により、自分は重篤化しないだろうが感染はするかもしれない。症状はないけれど、気づいていないだけかもしれない。その場合、高齢者や小さな子どもに気づかずにうつしてしまうかもしれない。自分のせいで人を死に追いやる可能性がある。こうしたことは、想像力と思いやり、大局的視点があれば考えることができるでしょう。

国語はすべての教科の基本と言われてもピンとこない小学生は多いものです。特に物語が嫌いな男の子は、「本人じゃないから人の気持ちなんてわからない」と言います。そういう生徒に私が言うのは、「人の気持ちを100%理解できるわけがないしそんな必要もない。理解できないのは当たり前。必要なのは人の気持ちを100%理解することではなく、理解できるように一つでも多くの情報を集め、考え、正しく想像・推測すること」だということです。わかることが重要なのではなく、わかろうとする過程が重要なのです。国語ではその過程が正しければ答えは合います。

実生活では、相手の気持ちをわかろうと努めていることは伝わりますし、わかります。人は言葉からだけでなく、表情や声色、身振りなどから人の思いを感じ取ることができるのですから。国語の文章ではこれらが言語化され、直接的・間接的(情景描写など)に表現されています。物語の読解ですべきことは日常生活でも行っていることなのです。そして、それは国語の読解問題を通して鍛えることもできるのです。

読解力の低下が問題視されていますが、それはこの自粛要請の中での行動とも関係があるのではないでしょうか。