国語ができる子は字が汚い?

こんばんは。

大阪・神戸・京都の国語専門家庭教師住吉那巳枝です。

国語がずばぬけてできる子は字が汚い。

国語ができない子は字が汚い。

矛盾するような、こんな言葉を聞いたことはないでしょうか。

 

これ、どっちも正しいかな~と感じています。ただし、決定的な違いがあります。

国語ができて字が汚い子は、どんなに汚くても自分で何を書いたかわかります。そして、テストでは他人が読める字を書きます。

一方、国語ができなくて字が汚い子は、自分で書いた字が読めません。また他人にも読めない字を書きます。復習してもわからない。

 

以前、林修先生が、東大のトップ層は字が汚い。次々と湧き出るアイディアに手が追いつかない、というようなお話をされていました。トップ層の子は、ノートは思考のためのツールであり、きれいに書く必要はない、と考えているとか。

これは確かにあると思います。かつてある生徒に開成・麻布・筑駒・桜蔭・洛星など、記述問題の難しい学校の過去問を解かせたことがありますが、赤本の模範解答よりもいい解答を何度も作成する。しかし、この生徒、ノートの字は汚い。でも本人に確認するとちゃんと読めるんです。そしてテストでは、しっかり他人も読める字を書いてくる。

 

字のきれいさにこだわる必要はないと思っていますが、最低限ノートは自分で読める字を書くこと。テストでは他人も読める字を書くこと。これだけは守ってほしいと思います。

ノートを見れば、どのように考えれば問題が解けるのか、そのときどのように思考したのかを確認することができなければ意味がありません。

そして答案は、採点者が読めなければ点にはならないのですから。