阪大のミスから思うこと

阪大で入試出題と採点にミスがあり、追加合格者が出ましたね……。一年前の入試で、今、この時期に合格と言われた人たちの心中を思うと問題を作っている側としては、いたたまれないものを感じるとともに、襟を正さねばと強く思います……。特に出題ミス。作問者として、校正者として、編集者としてほんとうに恐ろしい。

2017年の鹿児島大の前期日程入試の国語で、漢字の書き取り問題の正解の漢字が、同じ問題文中に記されていて、全員に得点したというミスがありましたが、これは国語では一番つぶしやすくもあり、発生しやすくもあるミスだと感じています。模試でもやりやすい。作問者は、原稿作成段階で表紙や受験票などの文言を知らされていないことがあるんですね。というか、そのほうが多いです。ですから、作ったあとは校正で潰してもらうか、著者校正の段階で追加資料をもらって自分で確認して潰すかする。そうやって、一工程で3~5人程度の校正を入れる。そして、実際は校了までに問題不備や、誤字脱字といったミスはなくなる。ただし、これは塾―出版社等―作問者という3者が絡んで作成している場合。そして3者のパワーバランスがよい場合。

塾内のみで作成している模試や塾の先生が主導となるとミスが出やすい。いろんな塾の生徒を指導し、テストの復習・テキストの復習をしていると、解答ばれ(問題文中に漢字の読み書きの答えがあるとか)・誤字脱字・問題不成立(意外と語句知識問題に多い)、Aの問題の答えがCの問題のヒントになっている、なんてことがよくあります。いちいち指摘はしませんが……。

これは、教材作成者が優秀なんだよ! 塾の先生はだめなんだよ! と言っているのではありません。問題作成には、より多くの人が関わるほうがいいからです。間に入る人の量(と質ももちろんですけどそれは当たり前のことで)の違いです。作問者・複数の校閲専門者・複数の文字校正専門者・校閲結果を取りまとめる編集者のチェックが入ることで結果としてミスのすくないものができるのです。塾によってはテスト作成担当を新人にやらせるところがあります。問題は作問者が作り、そのチェックを新人の先生がするんですね。そういう場合、こちらの作問意図を問題と解説から理解してもらえなかったり、塾の先生の指摘ミスにより問題不成立が生じたりすることがあります。それらをすべて確認し、説明しますが、最終的に押し切られることがあります。間に何人かの外部チェックをいれてほしいと思いますが、それを言うたちばではありませんし、作問者はゴーストライターですから、それでいいならそうしてくださいというスタンスでいきます。しかし、不安を覚えますね…。またこちらの原稿に修正がほとんど入らないのも実はかなりの恐怖です。ほんとうに良質? 精査甘くないですか? と不安になります。いろんな人から突っ込まれることが教材・模試制作ではものすごく重要なんです。

今回の阪大のミス、どのようなチェック体制だったのかわかりませんが、多くの人にチェックしてもらうということの重要性を改めて感じました。正直、この指摘おかしいだろう? というのを見るとイラッ! さて、どうしようと思うこともありますが、すべての指摘はやはり必要なんですよね。こちらが気づかないことを気づかせてくれる。そういうとらえかたもあったな、と考えさせてくれる。指摘の間違いを考えることでこの私の問い方では誤解を招くな、というような作問時には気づかなかったことに気づかせてもらえる。すべての指摘はありがたいもの。

私は校正・校閲もしていますが、赤を入れながら、作った人、うっとうしいよな…と思いながら入れることも多々あります。こんなことまでチェックしなくてもいいかな? と思いつつ、できるだけ言葉を選んで赤を入れます。受けとった作問者が不快な思いをできるだけせずに見てくれるように…。それでも急いでいるときはぶしつけな表現になってしまうこともあり、申し訳ないのですが…。

ちょっとした自分でも気づかないような気のゆるみや謙虚さを忘れることがミスにつながる。今回改めて自分の仕事を見直す機会になりました。

現在、志望校判定が出る中学入試用模試作成中なので、気を引き締めてやらなければいけません。ほんとうに明日は我が身です……。