アンサング シンデレラ

こんばんは。

大阪・神戸・京都の国語専門家庭教師住吉那巳枝です。

夕方~夜に授業が入る家庭教師をしていると、リアルタイムでドラマを見る時間はないのですが、FOD等で気になるドラマは見ています。
 
今期欠かさず見ているのが、「アンサング シンデレラ」と「MIU404」、「妖怪シェアハウス」。「アンサング シンデレラ」は石原さとみさんと真矢みきさんが好きなので。「MIU404」は脚本が野木亜紀子さんだったから(「アンナチュラル」で好きになりました)、「妖怪シェアハウス」は単に妖怪好きだから。水木しげるさんの「墓場鬼太郎」を幼少期に読んで以来、妖怪好きです。

その中で、今日は小6生二人が日特のため授業が休みになったので、その時間に「アンサング シンデレラ」を視聴。末期がんの鎮静の話がありました。見ながら、父の命がのこり残りわずかだとわかったとき、鎮静の判断を求められたことを思い出しました。ドラマのように鎮静の判断を悩む状況ではなかったのですが…。
 
中咽頭がんで在宅介護。がんの状態は安定していたのですが、誤嚥性肺炎を起こしたことで急速に容体が悪化。自宅介護ができなくなり、緩和ケア病棟に入院した父。
私一人で付き添っていたとき、担当の先生から「鎮静しますか?」と聞かれました。「あ~、ついに来たな」と思ったのを覚えています。電話で母に確認し、「お願いします」と答えました。
鎮静がは期を早めるものではないとか、意思疎通はができなくなるとか、鎮静についてはメリット・デメリットなど様々な情報を事前に調べていたので、私の中に迷いはまったくありませんでした。意思疎通はほぼできない状態でしたし、その状態なら少しでもラクにしてあげたかったのです。
 
ただ決めるのは父と最期の過ごし方を話していた母だろうと思っていましたので、母の決定にしたがうつもりでした。電話をすると、「ラクにしてあげて」と即答。
 
父は、ある日突然別れが来るのではない、ゆっくりと死に向かうがんで死にたいと言っていたことがありました。父の弟の一人が心筋梗塞で急死していたことや、祖父が脳梗塞で寝たきりになった姿を見たことがきっかけだったようです。病気で死ぬならがんがいいと言っていました。死までの期間に、これまでのことを整理して、きちんと終わらせて旅立ちたいと思っていたのだと思います。そして、実際にがんになり、お墓や葬儀について、父はすべてをきちんと決めていました。
証券会社で始発出勤、終電帰宅という生活を30年以上続けながらも、その間ずっと畑で野菜や果物を作っていた父は、生命を生み出す土に帰りたかったのでしょう。樹木葬にすると決め、お墓を買い、葬儀の話をご住職と済ませていました。月に1回程度、新幹線で実家に帰ると、父の友人の方々が遊びに来てくれていて穏やかな時間を過ごしていました。最期は家族全員に看取られて亡くなりました。理想的な人生の終わり方です。
 
父の死後、死というものを身近に感じるようになりました。
そんな中、父の四十九日で帰省した際、中学のときの同級生のうち5人が亡くなっていたこと、中2の時に担任だった先生も五十代で亡くなっていたことも知りました。そして、昨年、子どものころから家族ぐるみで付き合いのあった友人を心不全で亡くしました。私より2歳若い友人。朝起きたときには亡くなっていたそうです。それ以来、医療系ドラマを見ると、自然と、自分がどう死にたいか、その日までどう生きたいかを考えるようになりました。
 
今のところ、90歳くらいまで生きたい。死ぬ間際まで仕事をしたい。同時に、のんびりする時間も確保して、ゆったりとした心で生きたい。私にとって生きることは働くこと。自分と人のために時間を使うこと。
 
称賛されない、アンサングな生き方がいい。有名になりたいとか、人々に影響を与えるような人になりたいとか、そんなことは望まない。地に足をつけてしっかり生きていきたい。心を込めて、手の届く範囲の仕事に誠実に取り組みたい。いただいた仕事をていねいに行っていきたい。いい仕事をし続けたい。どんな形であれ、世の中の役に立つ人間として生きて死にたい。
 
そう思いつつ、生徒には称賛されるような人間になってもらいたいと思ってしまう。そんな人間を目指してもらいたいと思ってしまう。称賛されるということは、少なからず人の役に立っているということだから。そういう人間を育てたい。「医者になって、小さい子どもがこわがらない、痛くない治療をしてあげたい」「宇宙開発の研究をしたい」「いっぱいお金稼いで、似鳥さん(ニトリの社長)みたいに留学生が勉強できるようにしてあげたい」。そんなことを目を輝かせて話す生徒たちを見ていると、「今の子どもたちは…」なんて言葉は言えない。この子たちに未来を託せることが楽しみに思える。彼らが思い描いた未来が現実になるように、現実にできるように、可能性を広げられるように、私にできることをしたい。
 
そんなことを思いながら過ごした週末でした。
 
10月下旬までに納品する教材・模試の仕事が18本、18人の生徒の授業。
 
明日からまたがんばります。