ほめること

こんにちは。

大阪・神戸・京都の国語専門家庭教師住吉那巳枝です。

毎回の授業でアプリで指導報告書を出していますが、指導報告書は保護者の方がコメントができるようになっています。

昨日「先生にほめられることがうれしいようで」という言葉をいたただきました。

私自身はほめられることに慣れていませんでした。そしてほめることも苦手でした。大人のほめ言葉の裏にある意図を感じることが多かったからです。「この言葉をいうとき、この人はこうなることを期待しているんだな。」

そんなことを考えている子どもでした。そしてそれに答えようとする自分もいやでした。そのせいか、大人になってからも「ほめる」ということにも「ほめられる」ということにも抵抗があったのです。「ほめる」ってうそくさ!という意識があったのです。「すごい」と思っても相手にどう伝えるのかを考え出すととたんにうそくさくなる気がして言葉にできない。

その考えを、見方を変えてくれたのが、当時中学生の男子生徒でした。当時の私は27,8歳。大手個別指導塾(現在はB社グループ)で教室長をしていました。新規開校した教室で3番目の教室長。生徒数を短期間で最大にしたため生徒・保護者対応、講師との関係で悩むことが多い毎日でした。東証一部上場直前だったので売上も上げなければいけないという営業面のプレッシャーと生徒や保護者、講師との関係の構築。もともと人と接することが得意ではない私にはなかなかハードでした。そして関西統括の役員から言われる「生徒をほめてのばす」。「まずほめろ。とにかくほめろ」の姿勢にむちゃくちゃ抵抗があったのです。ほめ言葉を口に出すことに抵抗がある上に、個と個において、相手を評価するようなことは相手をよく知らなければできないという考えがある。これはゆずれない。相手をよく知るにはその人がどんな環境で育ち、どんな状況に置かれていて、どんな考え方を持っているのか、発言の裏にある背景まで理解しなければいけない。そのためにはいろんな方向から会話をしてさぐらなければいけない。それなのに着任して120名程度の生徒についてすぐにそんなことできるわけない。着任3か月で生徒数は30人以上増え、当然講師も増える。無理!としか思えませんでした。

そんなとき、正直なんの話をしていたのかはっきり覚えていないのですが、一人の男子生徒が「先生って、ほんとにほめてくれんねんな」と言ったのです。「ほんとにほめるってなに?!」と思ったのですが、その子は「ほんまにすげ~! って思っていってくれるやん。ほかの先生がほめるときって、なんかうそくさいねんな。あ~そうですかって思うけど、先生って、あほなん?ってくらい『すごいな!』ってほんまに言うやん」と。ちなみにこの生徒は国語は非常に苦手でした。思考力はあるのに語彙力のなさが足をひっぱるタイプで。

そのときの印象は「私、ほめた? 何を?」だったんですね。ほめろと言われても相手のことがわからないうえに、面談時間を取っても限られた時間でその子を評価できるほど知るのは難しい。物理的に120~150名の生徒面談、保護者面談、新規入会の面談、講師採用だけでもとんでもない時間がかかる。会話は無理なので、とにかく一人ひとりを細部まで観察することだけは新卒時からしていたので、これだけはやるしかないなと。といっても集団塾とは勝手が違い、とまどいましたが、観察することはいつでもできる。あたりまえのことなんですけどね。すると、表情や講師や生徒同士の言葉使いから「あ、この子って裏に別の気持ちをかかえているな」、とか、ノートの筆跡から「なんとかやりとげようとしたんだな」「ちょっと自分の答えに自信がついてきたんだな」とか、いろんなことが見えてくる。どんなつまらないことでもとにかく細かく見る。いろんなことに気づく。するとその気持ちって勝手に言葉に出るんですよね。毎日部活に行って帰ってきて、なんとか宿題をして答えを作り上げた。「しんどいのにようやったな~」。ミミズが死にそうな字を書いていたこが私がはっきり読める字を書くようになった。「字、めっちゃきれいになってる!」。思いは言葉に出ますよね。

そういうことなんだと思うのです。ほめるって。その子を観察する。ささいな変化も全部見逃さない。そういう意識で向き合う。そうしていたら、自然と言葉になり、その言葉が言われた側にとってほめ言葉になる。

冒頭の生徒については、正直ほんとうに驚いたんですよね。小5のときに塾に通っていましたが中学受験の勉強はほとんどしていなかった子。というよりさせてもらえなかったというのが正しいのですが。塾をやめて家庭教師のみで中学受験を目指すことになりました。ですから、一週間の学習管理が通塾している子よりも難しくなります。週1の指導なので、1日に何をどのくらいやるかを残りの月数から逆算して出し、数か月単位でやるべきことを分け、必要量を日割りする。宿題は出したうちの7~8割実行できれば成績が上がることを目安に多めに出す。他教科との関係で全部やるのは難しいかもしれない。学校の宿題量が多ければできないこともあるだろう。そうしたこともふまえての量。ところがその子は、毎週全部実行してくれているのです。お母さまからみたら集中できていなくて取り組みが甘いこともあるようですし、そうした形跡も見られることもあります。でもしっかりできていることのほうが多い。これができていれば十分というラインはできている。それを3か月続けているってすごいこと。思わず「よくこれだけやったな」と口にでます。「え? あれ全部やったの?」と思いつつ、さすがにこれは言うのをやめましたが。それくらいの量を、実質小6から受験勉強を始めた子が3か月継続しているのです。もちろんお母さまのお力も大きいのですが。

私自身、ほめるということに関しては、ほかの先生方よりも確実にへただと思います。意図的にほめることができません。ねらってほめることができない。ねらって自然にほめることができない。だめだしした後のフォローはもちろんしますが、ほめるのとはちょっと違います。たぶん、この姿勢は変わらない、変えられない。だから、生徒をとにかく観察する・小さな発見を見逃さない・その発見を生徒に伝える。そんなふうに指導するしかできないと思います。

だから、今、私からほめられたと思っている子、自分ってすごいかも!って思って。生徒たちに、保護者の方に、思ってもいないことは言えない人間なので。そんなこと言ったらあとで地獄をみかねないのは私だから。

 

そして、このHPを見る確率なんてほぼないだろうけれど、私の「ほめる」の原点をつくってくれた、当時中学2年生の男子生徒へ。今は30歳くらいでしょうか。あなたの言葉が、今、家庭教師をする中でとんでもなく大きな財産になっています。何年たってもあなたが言った「先生って、ほんとにほめてくれんねんな」という言葉は忘れることができません。ありがとう。