嫌いな教科を好きになってほしいと思われますか?

こんばんは。

大阪・神戸・京都の国語専門家庭教師住吉那巳枝です。

「おもしろさがわかって好きになったら成績は上がると思うんです」「できるようになれば勉強を好きになれます」

これらの言葉は半分ホントで半分うそです。できるかどうかと好きかどうかに、相関関係はあっても因果関係があるわけではありません。

どんなにできるようになっても興味の対象から外れていたら、好きになるのは難しいのです。でもそれは悪いことではありません。それはお子さんの大切な個性の一部です。

また、好きだからといって、できるわけでもありません。

私は高校まで国語が得意な理系でした。国語は勉強しなくても学年上位は取れましたし、某Y予備校の模試では偏差値65以上は取れていました。でも国語が好きかと言われたら好きではなかった。なにせ、教科書の文章がつまらない。記述問題の解答を書くのがめんどくさい。それよりも化学の計算をしたり、構造式を書いたり、数学の証明問題を解くほうがはるかにおもしろくて楽しかった。模試で偏差値45前後しかとれなかった英語が68まで上がっても英語が好きになったかと言えば別に好きになることはなかった。でも、必要性はわかっていたので勉強はしました。一方、世界史は好きでしたが、たいして、いや、悲しいくらいできませんでした。あまりにできなくて世界史の先生に「おまえ、いっぺん死んでこい」と言われたこともありました。

もちろん好きな教科が増えるのはとてもいいことだと思います。できるようになることも当然大切です。でも嫌いな教科を何とかして好きになろうとしなくてもいいのでは? と思うのです。嫌いなものは嫌いでいいのです。むしろ、嫌いな教科があることは忍耐力や根気を鍛えるのに役立ちます。「国語が嫌い、でも入試には必要、必要なことは嫌いでも向き合わないといけない、だからがんばろう」と思えるようになったら、それは素晴らしい成長です。好きではないけれど、必要性を理解して取り組めるというのは素晴らしいことです。そして、これは成績を上げる大きな要因になります。

何が言いたいのかと言うと、お子さんに嫌いな教科があったとしても、無理に好きにさせようと悩まれなくていいということです。なんで嫌いなんだろう? なんて考えなくていいのです。国語は必要な教科だから、好きになってほしい。できるようになってほしい。その気持ちはとてもよくわかります。でも、好きにならなくてもできるようになる方法はあります。

嫌いなら嫌いでも構わない。でも、やるべきこととして向き合えるようになるほうが、嫌いなものを好きになる以上に大切なことだと思います。そしてそれが勉強をする理由の一つでもあると思うのです。