「できない」・「わからない」と「やりたくない」

日本語教師をしている友人から聞いた話ですが、外国人に日本語を教えるとき、「日本語の『できない』は『やりたくない』という意思を表す」と教えるそうです。

これは本当にそうだなと、指導していると感じます。

生徒の「できない」「わからない」の言葉をそのまま受け取ってはいけないことが多々あるのです。

国語の論説文になると「解けない」「わからない」とすぐに言う子がいます。設問レベルはやや易~標準。その子の学力で解けない問題ではまったくない。そこで、解答に至るまでの過程を理解できているか確認するために質問をしていきます。すべて正しく答えることができる。では、なぜ「解けない」と言うのか? 「わからない」というのか?

その文章は、冒頭部分にその子にとって見慣れない言葉が並んでいました。とはいえ、注釈もあり、注釈を読めば理解できます。でもそれをしていない。質問をしていくと、「こんな言葉知らんし、わからん」と言う。小6後半になれば、当然論説文の抽象度も上がってきて語彙レベルも上がりますから、拒絶反応が出る子もいます。「解けない」のではなく、「なんや知らん言葉があって難しそうやし、解きたくないわ」となっているんですね。

こういうことは、よくあります。「できない」「わからない」という言葉を真に受けて、「力がついていない?!」と思う前に、本当に理解できていないのかを見極めないと、無駄な時間を費やしてしまうことがあります。

もし、「できない」「わからない」という言葉をお子さんが言うのであれば、本当に理解できていないのか、確認してから対処しましょう。文章内容について、解答プロセスに関わる部分について、簡潔に答えられる質問を重ねると確認しやすくなります。

「できない」「わからない」の原因が「やりたくない」であるなら、文章に出てくる言葉の難しさに惑わされていないか、語彙力・漢字力に問題がないかをまず確認するといいでしょう。語彙力と漢字力の強化で、すっと成績が上がることもあるのです。

先入観を抱きやすいのであれば、その先入観をなくすようにしていくことも必要です。苦手だと思っている文章について、文脈理解を促す簡潔で答えやすい質問を重ねて、「わかる」を実感させると、次第に様々な文章に対しての抵抗は消えていきます。